【2026】なぜ私たちは「日の丸」を飾らなくなった?失われた祝日の風景と違和感の正体 260204

2026/02/05

ヘルスケア ルーティン 歴史を学ぶ

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 2026/02/04 6:21:49 水曜日
気温1.8度天気、晴れ。


#音声入力日記


いつものローソンでミックスサラダを購入した。

昨日は朝の積み込みに時間がかかってしまい、ゆっくり過ごすことができなかった。だから今朝は、食パンにチーズとハム、それにミックスサラダとオニオンコンソメスープを添えて、少しだけ丁寧に朝食の時間を持ちたいと思っている。


今日は立春。暦の上では、春が始まる日だ。

日本人が忘れた「節を分ける」感覚。当たり前の日常を失う前に気づくべきこと

昨夜は夫婦二人で豆まきをして恵方巻を食べ、季節の節目をしっかりと味わった。「節を分ける」から節分。季節を区切る暦のあり方を考えてみると、当たり前のことのようではあるけれど、妙に納得させられるものがある。



●毎朝同じ電車に乗る。そのリズム



朝4時前にぱしっと目が覚めて、出発の準備を始める。

昨年の末ぐらいから、起き抜けの血圧測定がルーチンに加わった。それだけでも朝の準備はなかなか忙しいのだが、そこへさらに肩甲骨周りのストレッチが加わった。慢性的な肩こりを解消するため、整形外科で教わった三つの動きをゆっくりと行う。そうなると、ますます出発までの時間は慌ただしくなる。


それでも、一つ一つのタスクをこなし、時計とにらめっこしながら同じ時間の電車に乗ることに集中していると、ある種の充実感のようなものが湧いてくる。

頭はぼーっとしていても、起き抜けのルーチンを一つ一つ潰せたという達成感。そして早朝の電車に乗ってしまえば、ようやく少しばかりの休息が待っている。そんな段取りだ。


こんな生活を続けてもう何年になるのか、正確なところは分からなくなってきた。けれど、このリズムが途切れるのもそう遠い先のことではないだろう。そう思うと、この一瞬一瞬をきっちりと刻んでいきたい、なんてことを考える。



●休日に日の丸を飾るということ

「右寄りだと思われる…」そんな謎の同調圧力を超えて、私が選挙に行く理由

子供の頃、祝日になると、日の丸が入った箱を奥から取り出してきたものだった。

棒をつなげ、旗を結び、玄関の柱にある金具に差し込む。「今日は春分の日だ」「今日は天皇誕生日だ」と、感謝とお祝いの気持ちを込めて、ごく普通に旗を掲げていた。

気がつけば実家もなくなり、アパートやマンションで暮らすようになって、そんな習慣からも遠ざかってしまった。街を見渡しても、民家の軒先に日の丸が掲げられている光景は、すっかり見なくなってしまった。


一体、どんな変化が起こったのだろうか。

「国を愛している」「この国が好きだ」と口にすることに、どこか抵抗感を抱かせるような世の中が当たり前になってしまった。自分の中では全くそんなつもりはなくても、なんとなくそんな空気になっている。


洗脳と言ってしまえば大げさかもしれないが、旗を掲げれば「あそこの家は右寄りなんじゃないか」と思われてしまうような、謎の同調圧力。これではいけないと思う。

右でも左でもなく、ただ「この国を良くしたい」「この国が好きだ」という素直な気持ちで旗を飾ればいい。


実際、野球やサッカーの国際試合で日の丸がどんと掲げられると、やはり胸が熱くなるし、国を愛する気持ちが高まる。

自分の中にある大切な感情を今一度整理して、週末の選挙に臨みたい。


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