230201

2023/02/03

鮎川誠

t f B! P L

 2023/02/01 6:28:32


水曜日天気は晴れ

100円。ローソンでコロッケ、パンとバナナを購入。トイレも借りる。

いつもより少し遅いので空が明るくなり始めている。

風もなく穏やかな1日になりそうだ。

鮎川誠さんがなくなったことのダメージは当分続きそうである。

でも僕には僕の人生もあるし、仕事もあるし、家族もいる。そのためにはロックロックの生き方を貫くそうでなければ、格好悪い鮎川誠さんに教わったスタイルを貫く。


●インターネットへ接続。

中学生の頃アマチュア無線をやっていた事も影響したか、パソコンなどに関しての興味が常々あった。

ウィンドウズ95が出るか出ない前後の頃、念願のパソコンを購入。

しかしその時代、インターネットに接続するのは理系ではない。俺にとってはかなりハードルの高いハイレベルな知識を要するものであった。

インターネットに接続するための環境を整えるだけでも大変であった。

わからないことだらけ、いろんな本と雑誌を読み漁り何とか接続できるところまでこぎつけた。

ただしそれが繋がってるのかどうかわからない。

そこで雑誌の記事に書いてあった鮎川誠さんのシーナ&ロケッツのホームページのURLを手打ちで入力してみた。

あの時の興奮は忘れない。

ゆっくりゆっくりとだが、椎名さんの顔が映像として現れてきた。

白黒の画像であったが、その時の興奮は今でも覚えている。

鮎川誠さんは、その時に既にホームページを立ち上げていたのだ。


それから、数年後、鮎川誠さんは、ロケットウェブからラジオのように音楽を配信している時期があった。

サンプリングレートが非常に低く、音声は音質は悪いのだが、何しろ、鮎川誠さんがセレクトしたブルースやロックが聴けると言う一心で嬉しくて聞いていた。

そんな中聞いたこともない。シーナ&ロケッツのレモンティーがかかった。

もしやこれはピンナップBabyブルースのプロモ番26歳ているプロモ番のみに収録されていた絵画館前カセットレコーディングレモンティーではないかと想像した。

その旨をその瞬間にEメールで鮎川誠さんに送ってみたところ、なんと数分後鮎川誠さんから返事をいただき、事実確認ができた。

あの時のダイレクト間、リアルタイム感を鮮明に覚えている。

抹茶無線を始めた頃、どこかの誰かとやりとりをしていると思えた。あの興奮と全く同じものであった。


人間と言うのはコミニケーションできないと鬱になってしまうと言う話をどこかで聞いたが本当にそう思う。そして誰か話ができる相手つながりたい相手がいることによって人間が成立する武田鉄矢ではないが、人間とは人と人の間人間と書く。


2000、 0年代前半、まだまだインターネット黎明期の頃、ぼくはホームページの制作会社にいた。

そこで出会ったいまひとつよくわからない。ウェブサービスがあった。

それがTwitterである。

ホームページいや今流SNSの走り、ミクシィ等は確かあった時期にTwitterと言う全く掴みようのないウェブサービスが始まったのだ。

そしてそれを早速登録してみた。

でもなんだかよく訳が分からないのでそうだと思いつき、Twitterのサービスを鮎川さんにメールで連絡した。

ちょっとしたら鮎川誠さんはアイコンつけてちゃんとアカウントを作っていた。

その時期から数年後何かのタイミングで鮎川誠さんのフォロワーではなく、鮎川誠さんがフォローしてる人ってどんな人なんだろうと鮎川誠さんのTwitterのアカウント確認してみた当然と言えばそうなのかもしれないが、1番最初に俺の名前があった。その次が朝日新聞か何かのニュースサイトであったそう鮎川誠さんの一番最初のフォローした相手は大きく自慢できるかな俺だ。


スポンサーリンク

ページ

このブログを検索

QooQ