「伝える、という時間」息子と向き合うキッチンで込み上げた、言葉にならない熱量
2026/01/14 6:20:26 水曜日
気温5.7度。まだ暗いけれど、天気は多分晴れ。
#音声入力日記
風が少し吹いているので、体感気温は二度か三度といったところか。
東の空遠くが少しだけ明るくなりかけている、そんな朝。
いつものローソンで大根サラダを購入。税込150円。
ちょっと袋のボリュームは少ないけれど、まあ、サラダがあっただけ良しとしよう。
今日も食パンにチーズと、そしてこのサラダを挟んで食べる予定だ。
●息子くんに伝えたいこと、息子くんとの時間
週末の三連休、やりたいことのほんの一握りしかできなかったけれど、いくつか大切な時間を過ごすことができた。
一つは、家庭で毎朝食べるヨーグルトのセッティング、準備の方法だ。
我が家は奥さんの腸内維持のためということもあるが、家族全員の健康のために毎朝ヨーグルトを食べている。
プレーンヨーグルトに、黒いすりごま、きなこ、干しぶどう、そしてプルーンや豆乳などを入れる。
たったそれだけのことだが、三人前のセッティングとなると、それなりに段取りなどのノウハウが必要になってくる。
「実家にいる間は、それくらいやろうぜ」と軽く促したところ、「父ちゃん、やり方教えてくれ」と素直なレスポンスがあった。
そうしてそのノウハウを伝授した次第だ。
大げさなことではないけれど、ちょっとした大切な時間、そんなひとときを過ごせた。
そしてもう一つが、「父ちゃんが作る焼きそば」の実演。
下味としてニンニクと生姜のみじん切りを用意すること。
焼きそばの麺を事前に電子レンジで少々温めておくこと。
フライパンにどんなタイミングで、どんな順番で具材を炒めていくか。
シンプルではあるが、それなりに奥の深い調理方法。
少しずつ手伝わせながら、ある程度伝えることができた。
いきなりそれが再現されるとは思わないが、
「伝える」という行為、
「教えてもらう」という行為、
その時間を共有する。
そこが何よりも大切だ
と思っていたし、やってみて、
やはりそうであった。
●なぜか、アメリカの田舎町ツーソンで日本人と会ったコトを思い出した
大学三回生の夏、一人でアメリカを旅行したときのとある一日。
ビートルズの『Get Back』の中になぜか登場する街の名前、アリゾナ州ツーソン。
アリゾナは砂漠が多く、グレイハウンドで走っていると、昔の西部劇でよく見たような大きなサボテンがいたるところに見受けられる、そんな田舎だ。
その街が目的だったというよりは、日程の都合上、泊まるのに最適だったという記憶がある。
ホテルを見つけ、チェックインして外をぷらっとしてみようと思ったのだが、ホテルを出た途端、ほとんど人が歩いていない。
寂れているわけではないが、寂しい街だった。
五分も歩かないうちに街の寂しさが納得できるような、そんな場所だったけれど、なぜか向こうから東洋人が歩いてくる。
日焼けした風貌だが、明らかに日本人だとわかった。
人もいない街だったので「日本の方ですか」と声をかけると、まさに日本人だった。
秋田から来た、僕と同じくらいの年齢の青年。
ずいぶんと一人で長旅をしていたらしく、その夜、僕らは同じホテルのそれぞれの部屋に泊まり、どちらかの部屋に集まって旅の話をした。
サンフランシスコで買ったバーボンのボトルを取り出し、チャイナタウンで買ったサラミをつまみに、ポテトチップスか何かを食べながら。
そんな記憶が残っている。
翌日、彼は免許を持っていなかったが、「割り勘でレンタカーを借りてドライブをしないか」と提案したところ、話に乗ってくれた。
高校生の頃からの夢だった「砂漠の中の一本道を、ドゥービー・ブラザーズを聴きながら車でかっ飛ばす⁉️」という、今思えば笑っちゃうような願望。
それをレンタカーを借りて実現させた。
夕方や夜明け前後に砂漠の道を走り、その瞬間の空気を目に焼き付けた。
そんな思い出だ。
