260717

2026/07/17

t f B! P L
2026年7月17日 (金) 6:11 気温: 28.0度 | 天気: 薄曇りから晴れ
#音声ジャーナリング #音声入力日記

朝食のメニューは昨日に引き続き、ミックスサラダと豆腐、もずく、バナナ、そしてアイスコーヒー。極めてヘルシーで、この蒸し蒸しとした暑さにぴったりなラインナップだ。

今週の中頃から続く猛暑、いや酷暑に、体力は悲鳴を上げている。なんとか金曜日までたどり着いた、という心境だ。今朝は4時前に起きるのがかなりしんどかった。まさに体に鞭を打って、バシッと起き上がる。疲労感はピークに達している。

スタンドアローンの考え方

昨日の朝、ふと思い立ったというか、夢の中で気がついた。「スマホをなくしたら、その時に何が必要か?」——そんな脳内トリガーが起動したのだ。

色々とリサーチしていると、面白い発想が次から次へと湧いてくる。まずスマホがない時、手元には何があり、何ができるのか。そんな前提から考えるだけでも面白い。
スマホを持っていても使えない状況。単純な話、バッテリー切れかもしれないし、落として壊れてしまっているかもしれない。

あるいは、システム障害などでネットワークに繋がらず、電話機能が使えないケースもあるだろう。そんな状況が起きたとき、どんな行動を取るべきか。その時に必要なものは何か。リスクヘッジ的な観点で考え始めると、様々な思考が交錯し、頭の歯車が勢いよく回り始める。そして、それをさらに回そうとするアイデアのエネルギーが湧き出してくる。

この思考法の源泉を辿ると、過去に何度も反芻しているが、小学校低学年の時に親父が買ってくれた本『ロビンソン漂流記』に行き着く。すべての原点はあそこにあり、猛烈な憧れのようなものが幼少期に刷り込まれてしまったのだ。

「もし自分が無人島にたどり着いたら、どんな行動を取るだろうか?」
——まさに究極のスタンドアローンな状況である。

現在ブログで連載中の「高1の夏」シリーズも、まさにその流れの中に位置している。ロビンソン・クルーソーのイメージから猛烈に広がり始めた、抑えようのない衝動の産物と言えるだろう。

話は戻るが、スマホが使えない時に手元にあると最も便利で確実なのは、必要なデータが最低限記された「紙のメモ」だ。家族の連絡先や、共通の知人・友人の情報などがコンパクトにまとまっていれば、絶対に心強い。それをラミネート加工などして、手帳に挟んだり、財布に入れておく。これはかなり有効な「お守り」になるはずだ。

スマホがなくてもネットにアクセスできる状況だった場合

もし自分のスマホがなくても、誰かの端末や公共のインターネット端末にアクセスできる状況ならば、そこに重要なデータをストックしておくという選択肢も今の時代なら考えられる。

そこで生きてくるのが「QRコード」だ。シンプルな情報であるQRコードがあれば、そこからさらに深い情報へとアクセスできる。読み取ったURL先のページにパスワードなどのロックをかけておけば、利便性とセキュリティを保てる状況が作れる。

そんな妄想を膨らませながらリサーチしていたら、昨日のクリエイティブタイムは一瞬で溶けてしまった。いずれにしろ、自分の思考方法として、こういうシステムや仕組みを考えるのはワクワクしてたまらない。「スタンドアローンで、自分一人でなんとかしなければならない」という状況を想定する角度が、威力を発揮する。独自のシステムを考えるのはとてつもなく楽しいし、無限に広がりそうなこのテーマをどんどん深掘りしていくのが楽しみだ。

大学1年息子くん、近況

4月から始まった北の大地での大学生活にも、徐々に慣れてきた感じが伝わってくる。
4月、5月とがむしゃらに居場所を探し、ネットワーク作りに奔走していた #大1息子くん 。昔からの癖である「スケジュールの詰め込みすぎ」を何度か繰り返し、まだ完全には克服していないものの、それなりに大学1年生としての生活リズムが整いつつあるようだ。

ただ、家族でスピーカーフォン越しに電話をしていると、相変わらず落ち着きのなさや、甘え、人の話を聞かない部分が垣間見える。片目はつぶっているつもりだが、ついつい小言を言いたくなってしまう。そこはグッと我慢するしかないと、自分に言い聞かせている。

そんな中で私が心がけているのは、彼が幼い頃からよく投げかけてきた言葉だ。

「それじゃあ、どうする?」
「そういう状況なら、君はどう動く?」

自ら考える力を養ってほしいからこそ、あえて答え(アドバイス)を出さない選択をしている。

彼が鉄道にハマり始めた頃、「あそこに行きたい」と言い出した時には、「じゃあ一緒にお出かけしよう。でもお父さんは君についていくから、どこで乗り換えるのか全部案内してね」と任せていた。小学校低学年から高学年の頃といえば、親について歩くのが普通かもしれないが、多分2、3年生の頃から「じゃあ連れて行ってね」と主体性を委ねていたのだ。

それと同じアプローチを、大学生になった今でも続けている。それなりに社会経験や人生経験を積み始めている彼にとって、あの小学校時代からの訓練が、北の大地での日々に少しは役立っているのではないかと想像している。

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