2025/10/01 6:07:44 水曜日
気温20.8度天気雨
#音声入力日記
10月1日を迎えるにあたってふさわしいというか、なんとも言えない低い気温が今朝は体を包んでいる。気温は20.0度台。
地元の**100円ローソン**でミックスサラダを買うのはいつものことだが、定番のツナコッペパンを買うかどうか、この辺りは日々試行錯誤を重ねるしかない。
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ブルースビル渋谷収録2011年12月27日 ·— 場所: Shibuya Fm78.4MHz
●音楽ライター、山名昇さん亡くなる
先週、音楽ライターの**山名昇(やまなのぼる)さん**の訃報が届いた。個人的にも知っている方だったので、いろいろな思いや気持ちが、ごちゃごちゃと脳内を駆け巡る。
過去、この日記にも何回か登場しているが、僕が高校生から大学生の頃によく通っていた渋谷道玄坂、百軒店にあった**「ブラックホーク」**というロック喫茶。そこが僕の音楽ライフの様々な出発点になっている。そして、その出発点で出会ったのが山名昇さんだった。
ものすごくタイトに時間を共にしたとか、ベロベロになるまでお酒を飲んで語り尽くしたとか、そんな感じではない。ないのだが、僕にとって**とてもとても大切な存在**であったことは確かだ。
そして、そのきっかけとなる重要な日が、**1982年9月28日**の20歳の時の大事件。過去何回もいろいろなところに書き散らしているが、そのことを改めてテキストに残しておこうと思う。
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●目の前にオーラを放つ人がいた
通い慣れた渋谷道玄坂の奥、百軒店にあるロック喫茶ブラックホークで、いつものように友達とぼーっと過ごしていた。
本を読んだり、音楽を聴いたりしながら、ただぼーっとする。そんな感じだったと思う。隣の席に座っていた悪友が、肘で俺を突いてくる。最初はただぶつかったのかと思ったのだが、何回かついてくるので、そいつの顔を見ると、**「あっちを見ろ」**と視線を促している。
そこには、まさに**オーラを放つ人物**が座っていた。
そう、そうなのだ。そこに** #鮎川誠 氏**が座っていた。
その頃、鮎川誠さんは既に**シーナ&ロケッツ**のレコードを出していたし、全国的にも有名な存在だった。そのあまりのかっこよさに、男性ロックファンとしても憧れの存在のギタリストだ。
そして何よりも、シーナ&ロケッツというバンドの存在自体が、自分の中でとても大きい、大切なバンドだった。
そのバンドの鮎川誠さんが目の前にいるなんて、信じられない状況だった。
何が自分をそうさせたのか分からないが、つかつかと席を立ち、歩み寄って「お話をさせてください」だったか、「失礼します」だったか、全く覚えていないが、とにかく図々しくも鮎川誠さんの隣の席に移動したのであった。
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当時、そのブラックホークは、店の中央に**どかーん**と**正方形の大きなテーブル**があった。一辺に3人ぐらい座れるようなその大きなテーブルを、とても丁寧に作り込まれた木のベンチが囲っている。そんなレイアウトだったと記憶している。
硬い木のベンチのような椅子
テーブルの上にドンと大きな灰皿
テーブルの上には、黄色とか青とか赤の大きめのホーロー製の灰皿があったのを覚えている。そこで頼むのは、いつも**ホットコーヒー**か**ジンジャーエール**。その一杯で30分、1時間、下手したら2時間以上粘る。少しお腹が減ったら、何か軽食を頼む。そんな過ごし方だった。
そんな鮎川誠さんサイドの席に移動させてもらい、とにかく**音楽の話**をした。
「今どんな音楽が好きなのか」「鮎川さんは何を聞いているのか」「最近気になった音楽は何なの?」そんな話の連続だったと思う。
あの頃、もちろんインターネットなんかない。だから、雑誌とか本、ラジオ(AMラジオ、FMラジオ)その場で、とにかくその時代の空気を感じられるものには、ものすごいアンテナを張っていた。
810キロヘルツのFAR EAST NETWORK、通称FEN
そんな時代、とても大切な情報源は、**810キロヘルツのFAR EAST NETWORK、通称FEN(フェン)**だ。特定の時間にFENにチューニングすれば、いつも知らない新しい音楽がかかっていた。大好きなロックもかかっていた。ただし、曲名がわからない曲だらけだったし、すごくかかった曲のレコードを買いたいと思っても、よっぽどのことがない限り曲名を聞き取ることもできなかった。
そんな時代、深夜、いつもかかる**ブルースハープのロックンロール**があった。なぜかそんな話になって、鮎川誠さんと盛り上がってしまった。その時、鮎川誠さんが曲名を教えてくれたかもしれないが、あまりの興奮ぶりにしばらくの間、その曲が何なのかはわからなかった。
ずいぶん大人になって、インターネットやらYouTubeやら中古レコードやらが普及し、それが**J.ガイルズ・バンド**の初期の曲だということがわかった。
そんなこんなの音楽の話を、鮎川誠さんと30分から40分、1時間も話していないと思う。
鮎川誠さんがその店で待ち合わせをしていた人と合流し、僕と鮎川誠さんのホットな音楽談義の時間も終了した。
その鮎川誠さんが待っていた人、**それが音楽ライターの山名昇さんだった**、というわけだ。
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ロッキンf という音楽雑誌に鮎川誠特集
この下りは、その後**『 #ロッキンf』**という音楽雑誌に鮎川誠特集が組まれ、その記事を書いていた山名昇さんが**「居合わせたファンの子(=僕)の話を切り上げ、僕らは銀座の楽器屋に向かった」**という件があり、その居合わせたファンが俺だということを密かに興奮し持ち続けていた。
後日、山名さんとその話になり、それが自分だったということが確実に二人の間で証明された。
その『ロッキンf』は今でも持っているし、その記事が元になって作られた本**『寝ぼけ眼のアルファルファ』**も、山名さんのサイン入りでちゃんと持っている。
● 音楽評論家・山名昇さん死去 編集者、DJとしても多大な影響を残す(オリコン) - https://www.oricon.co.jp/news/2408725/



