鮎川誠さん亡くなる 230131

2023/02/01

ライフログ 鮎川誠 自分史

t f B! P L

 2023/01/31 6:14:03 火曜日

天気は晴れ風が強いです。いつもより5分から10分ぐらい遅いので空が薄明るくなっています。


いつものキッチンオリジンでサラダを購入。あまりに寒いので、サラダとカップラーメンの朝食にしようかと思っている。


●  #鮎川誠 氏亡くなる



心の整理がつかない。

高校生の頃ものすごいかっこいいバンドに出会った。

それがシーナ&ロケッツだった。

すぐにファンになった。と言うよりは大ファンになった。

言いたいことがありすぎて、言葉が出てこない。



● 20歳前後の頃の話。

ガキの頃からずっと一緒だった悪友と、いつもの渋谷のロック喫茶で本を読みつつぼーっとしていた。


大きめなテーブルのようなところに並んで座っていたその悪友がちょんちょんと肘で俺を突いて何か合図をしてくる。


うるせえな邪魔するなと思ったのだが、何回もついてくるので、奴の顔見たら、奴が顔で目の前を見ろと合図をする。

彼に促されて目の前を見ると、なんとそこにオーラに覆われた、鮎川誠さんがいたのだ。


その頃僕はすでに鮎川さんの大ファンであり、とても遠い遠い別の世界の存在であった。


何がそうさせたのかわからないが、鮎川さんの隣の席が空いていたので、ずうずうしくも近寄り話をしてもらうチャンスを得た。


鮎川さんの影響受けて好きになった音楽、あの時代めちゃくちゃ聴いていたパンクロック、ニューウェーブ、ローリング・ストーンズを代表とするブルースをベースとした音楽等々、鮎川誠さんと話をしだしたらもう止まらなかった。


たんなるファンでしかない俺と分け隔てなく、好きな音楽の話をずっとしてくれる。鮎川さんがそこにいた。

時間にして、30分か40分経ったろうか、鮎川さんがその店で待ち合わせをしていた人がやってきて、そこで最高の至福の時間は終了となった。


あまりの興奮でその日は寝付けなかったことを覚えている。

あの日しゃべった内容の断片的なメモが、昔の日記をひっくり返せば出てくるはずだ。

とにかく音楽、音楽、音楽

ロックROCKロックの話をした。


ちょうど数ヶ月前にイギリスのロックバンド、キンクスが来日していた時期で、僕はライブには行けなかったが、鮎川さんは当然のごとく観に行っていたらしい。


その時の興奮した気持ちを鮎川誠さんが伝えてくれた。


キンクスのリーダーレイディビィスを目の前にしたときの興奮は今の君が鮎川誠で俺がレイデイビスみたいなもんやね。そんな感じだったと思う。

鮎川さんに対する俺の興奮と鮎川誠さんが敬愛するレイディビスに会ったときの興奮、そんな感じだったみたいだ。


後日、その頃毎月購読していた『ロッキンf』という雑誌に鮎川さんの特集記事があり、貪るように読んだ。 音楽評論家の  #山名昇 氏の記事だったのだがその中の一部に『居合わせたファンとの話を切り上げ僕らは銀座の楽器店に向かった』との表記があった‼️ 




そう、その居合わせたファンは俺‼️  何故なら山名さんはそのロック喫茶 ブラックホークの常連だったしその事を後年、本人に事実確認出来ました。 20数年後、山名昇氏と鮎川さんシーナさんがやっていたラジオ番組にこの俺が出させてもらえたことを20歳頃の俺に伝えてあげたい。




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