「撮る瞬間」を大切にしていた頃の記憶。フィルムカメラの制約が教えてくれたこと 250821

2025/08/22

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2025/08/21 6:12:47 木曜日

気温28.6度天気晴れ。


いつもの100円ローソンでミックスサラダと絹豆腐1丁を購入。

最近は朝食に豆腐を食べる頻度が上がっている。


この暑さとの戦いがいつまで続くのか分からないが、豆腐1丁というのはこの暑さにぴったりのサイズ感と量感がある。


●写真を撮りたくなる瞬間について



スマートフォンが生活に密着したデバイスとなって久しいが、それに伴い写真を撮ることが本当に日常のものとなった。

高校生の頃、我が家にオリンパスXAというコンパクトカメラがあった。当時は子供や主婦でも使えるオートフォーカスのコンパクトカメラが徐々に出始めていた頃だったと思う。そんな時代に、ピント合わせが必要でありながら、露出もある程度自分の意思でコントロールできる、そんなスペックのカメラだった。


そのカメラのコンパクト性、スタイリングデザインが特に気に入っていたこともあり、日常使いのカメラであった。しかし当然ながら、35ミリフィルムだったので、多くても36枚、バランスを考えると24枚。何かを撮るときには、今の枚数と残りの枚数を計算しながら撮るというのがごくごく当たり前のことだった。


そんな制約があったからこそ、撮るタイミングがかなり制限されていたのだと思う。それでも、撮りたいという気持ち、その瞬間を大切にしようと思っていた。



大学生になって、オートフォーカスでフィルム自動巻の一眼レフ、α7000を購入した頃は、もう枚数制限というタガが外れてしまったような感覚もあった。とは言え、現像代やプリント代を考えると、そうそう撮ることもできないし、フィルム自動巻きだとフィルムの枚数の加速スピードは手動巻きとはかなりレベルが違っていた。


そんなこんなで、スマートフォンの時代になって、何の制限もなく撮りたいものを撮り、撮りたいものが撮れる。そして見せたい人に見せられる。保管したいところに保管できる。なんと自由なことであろうか。この過去と比較出来る喜びを知っているのと知らないのとでは、写真を撮るという行為に対するアプローチがずいぶんと違うのではないか⁉️なんて思った次第である。


そんなことを、朝ベランダで夜明け前の三日月を見ながら考えてみた。



●ポールシフト、地軸の変動があった痕跡


昨日、いやここ数日間に分けて見たYouTubeの動画が秀逸だった。

➡️ https://youtu.be/q8b1Hy8wjqk





今の北極点と南極点の位置が、数万年前に大きく移動した。その原因が判明したかもしれない、という話だ。


恐竜が絶滅した原因とされる、メキシコのユカタン半島に落ちた巨大な隕石による気候変動。それを上回る巨大な隕石のクレーターが、アイスランドの地下で発見されたらしい。しかも2つも、という話だ。

2つのうちの1つはかなり調査が進んでいるらしいが、もう一つに関しては、まだはっきりとはしていないものの、どうやらその可能性が高い。そして発見されたクレーターのサイズが、メキシコのユカタン半島に落ちた隕石のクレーターより規模がかなり大きい!!ということだ。


しかもその規模のクレーターが2つ隣接した地域にあるということで、その隕石の地球に与えたインパクトについて淡々と述べている動画だ。


隕石が落ちたことにより、地球に大きなダメージを与え、なんと1000年から2000年間も、人間が住むのも難しいほどの暗黒時代があったと想像されている。1個の隕石で恐竜の時代が絶滅したのに、2個も来たら地球もそうなるだろう。そしてその2個の巨大な隕石のインパクトにより、地軸が変動した可能性が高いとの見解もあった。


なんという宇宙の壮大な流れであろうか。その巨大な隕石により、物理的な地球の重力が変化してしまい、よく古代遺跡に残されている巨人や、人間のスケールに合わない巨大な建物なども、重力が低く(0.1G低いだけでも)大きな動物や人間が生存しやすい、あるいは人間の寿命が数倍になっても不思議でない、そんなことまで言及されていた。


歴史的事実と断定はできないだろうが、こういうことを考慮して神話や古代壁画、古代遺跡などを眺めると、大きな大きな、おおまかなストーリーが浮き上がってくる気がする。ロマンに満ち溢れた動画であった。


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