2023/02/07 6:10:13 火曜日
まだ暗い天気は晴れそうである。
風が少し吹いて寒く感じます。
まだまだぽっかりと心に穴が開いている。
#鮎川誠 さんの訃報を聞いてから1週間が経過。体は動くけれど、
心が回っていないというか止まっている。
行きの電車の中で、昨日音声入力した文章を整えていた。
ものすごい勢いで心の奥底から出てきた肉声がテキストに変換されていたが、そこに何とも言えない悲しさも変換されていた。
日本中のファンの人たちが少しずつ、徐々に、鮎川さんへの思い、感謝の気持ち、等々をSNSにアップし始めている。
いろいろ書きたいことを伝えたいことを知って欲しいことがあるのだが、とてもそこまで心が追いつかないといったところか。
正直なところ、僕も先週の金曜日ぐらいまではシーナ&ロケッツの音源を聞く勇気がなかった。
でも葬儀に向けてのプレイリストを作るのは、何か鮎川さんへのお返しになるのかな、などと考えて勇気を出してプレイリストを作り始めた。
今朝Facebookに今回も一緒にお手伝いをした仲間から20数年前青山の「蜂」というクラブで、シーナさんのバースデーパーティーをやった時の写真がアップされた。
強烈な一晩だったのだが、いろんな記憶が既に欠落している。
そのパーティーの経緯どんな状況だったのか、覚えているところとすっかり忘れているところの落差が激しいね。
ひょっとしたらあれが鮎川さんの前でレコードを回した最初の時だったのかもしれない。
そのクラブは3フロアか4フロア位ある細長いビルで、それぞれにDJブースがありたしか3階はライブもできるスペースになっていた。
DJは交代制だったのだが、いろんなフロアを行き来することもでき、僕も3回か4回出番をもらったような思い出、記憶がある。
夜も更けて午前3時か3時半ごろ徐々にお客さんが帰る人が出てきた。
そんな時間帯だった。
僕は1階のエントランス近くにあるDJブースでレコードを回していた。
それまで2~3回出番をもらっていたので、程良い興奮と緊張感、そして少しの疲れもあったので、ややゆったりとDJする心の余裕があった。
そしてそうだと思い、シーナ&ロケッツの前のバンド #サンハウス のレコードを回し始めた。
DJブースから見えるところに階段があり、なんと上の階からシーナさんと鮎川さんが階段を降りてきた❣️
ちょうどそのタイミング、レコードからは鮎川さんのリードギターが聞こえていた。
鮎川さんは普段はそれほどお酒を飲まれないのだが、ひょっとしたら少し酔っていたのかもしれない。
シーナさんに向かって、「これ俺の音!これ俺のギターの音!これ俺のフレーズ」みたいなことを盛んにシーナさんに言っていた。
もちろんシーナさんにとってもう何百回も聞いてきたレコードであろうはずなのに、鮎川さんはあえてシーナさんに俺のギター最高だろう!みたいなこと言っていたのが聞こえた。
微笑ましいというか大爆笑というかなんとも最高の瞬間であった。
それからが大変だった。御二方が僕のDJブースのすぐ近くで少しゆっくりと時間を過ごし始めてしまったのである。
レコードをターンテーブルに載せることまではできるのだが、レコードに針を落とそうとすると手が震えて、目的の溝にうまく乗せることができない。
7インチならば難しくないのだが、7インチばかりでなくLPレコードをかけるとなると手が震えて、目的の場所に針が落とせない。そんなことが続いた。
何せあの鮎川さんが目の前にいて、シーナさんと一緒にレコードを聴いている。
俺のプレイを聞いてると思うと、どうにも緊張と興奮が高まり、ややよれよれの選曲、よれよれのプレーになってしまったかもしれない。
鮎川さんとの思い出は本当にたくさんある。SNSに上がった。1枚の写真からものすごい記憶がサルベージできた。
そしてすべての瞬間がとにかく最高でハッピーであり、最高の体験ができたと思う。
なぜならシーナさんと鮎川さんの周りには、とにかくハッピーなオーラが、最高のバイブレーションが飛び交っているのだから、そうなってしまうのである。