【2023】これ俺の音!これ俺のギターの音!これ俺のフレーズ 230207

2025/11/07

DJunji スクラッチノイズ 鮎川誠 自分史

t f B! P L

2023/02/07 6:10:13 火曜日

まだ夜が明けきらない暗さ。天気は晴れそうである。

風が少し吹いて、体には寒く感じる。

心の中には、まだまだぽっかりと大きな穴が開いたままだ。






● #鮎川誠 さんの訃報を聞いてから、あっという間に一週間が経過した。体は動いているのだけれど、

心がまだ回っていない、あるいは、どこかで止まってしまっているような感覚がある。


今朝の行きの電車の中では、昨日音声入力した文章をひたすら整えていた。

心の奥底からものすごい勢いで出てきた「肉声」がテキストに変換されていたのだが、同時に、そこには何とも言えない悲しさまでが変換されていた。

日本中のファンの人たちが、少しずつ、徐々に、鮎川さんへの思い、感謝の気持ちなどをSNSにアップし始めている。

僕もいろいろ書きたいこと、伝えたいこと、知って欲しいことがあるのだが、今はまだ、とてもそこまで心が追いつかないといったところか。


正直なところ、僕も先週の金曜日ぐらいまでは、シーナ&ロケッツの音源を聞く勇気がなかった。

でも、葬儀に向けてのプレイリストを作るのは、何か鮎川さんへのお返しになるのかな、などと考えて、勇気を出してプレイリストを作り始めた。


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今朝、Facebookに一枚の写真がアップされた。今回も葬儀のお手伝いを一緒にする仲間からだった。

20数年前、青山の「蜂」というクラブで、シーナさんのバースデーパーティーをやった時の写真だ。


強烈な一晩だったはずだが、不思議なもので、いろいろな記憶が既に欠落している。

そのパーティーの経緯や、どんな状況だったのか。覚えているところとすっかり忘れているところの落差が激しい。

ひょっとしたら、あれが鮎川さんの前でレコードを回した最初の時だったのかもしれない。


そのクラブは3フロアか4フロアくらいある細長いビルで、それぞれにDJブースがあり、たしか3階はライブもできるスペースになっていた。

DJは交代制だったのだが、いろんなフロアを行き来することもでき、僕も3回か4回、出番をもらったような記憶がある。


夜も更けて、午前3時か3時半ごろ。徐々にお客さんが帰る人が出始めた、そんな時間帯だった。


僕は1階のエントランス近くにあるDJブースでレコードを回していた。

それまで2〜3回出番をもらっていたので、程よい興奮と緊張感、そして少しの疲れもあった。ややゆったりとDJする心の余裕があった。

そして「そうだ」と思い、シーナ&ロケッツの前のバンド、 #サンハウス のレコードを回し始めた。


DJブースから見えるところに階段があり、なんと上の階からシーナさんと鮎川さんが階段を降りてきたのだ。

ちょうどそのタイミング、レコードからは鮎川さんのリードギターが聞こえていた。


鮎川さんは普段はそれほどお酒を飲まれないのだが、ひょっとしたら少し酔っていたのかもしれない。

シーナさんに向かって、「これ俺の音!これ俺のギターの音!これ俺のフレーズ!」みたいなことを盛んにシーナさんに言っていたのが聞こえた。

もちろんシーナさんにとってもう何百回も聞いてきたレコードであろうはずなのに、鮎川さんはあえてシーナさんに「俺のギター最高だろう!」みたいなことを言っていた。

微笑ましいというか、大爆笑というか、なんとも最高の瞬間であった。


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それからが大変だった。御二方が僕のDJブースのすぐ近くで、少しゆっくりと時間を過ごし始めてしまったのである。


レコードをターンテーブルに載せることまではできる。しかし、レコードに針を落とそうとすると手が震えて、目的の溝にうまく乗せることができない。

7インチならば難しくないのだが、7インチばかりでなくLPレコードをかけるとなると手が震えて、目的の場所に針が落とせない。そんなことが続いた。


何せ、あの鮎川さんが目の前にいて、シーナさんと一緒にレコードを聴いているのだ。

「俺のプレイを聞いてる」と思うと、どうにも緊張と興奮が高まり、ややよれよれの選曲、よれよれのプレーになってしまったかもしれない。


鮎川さんとの思い出は本当にたくさんある。

SNSに上がったたった1枚の写真から、ものすごい記憶がサルベージできた。

そして、すべての瞬間がとにかく最高でハッピーであり、最高の体験ができたと思っている。

なぜなら、シーナさんと鮎川さんの周りには、いつもハッピーなオーラが、最高のバイブレーションが飛び交っているのだから、自然とそうなってしまうのである。

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